経済学の杜(ミラー)

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どうしてTACが強いのか(強かったのか)?

私も長く教育機関に関係してきて、いつの時代にも社風からくるTACの強さを感じることがありました。

 その1つが、ささやく様な講義をする講師、低姿勢で見た目が頼りなさそうな講師などが第一戦にいて、しかもその人たちが集客や合格率に大きく影響を与えていたことです。何を言っているのか?と疑問に思う人もいるでしょう。

 多くの他の予備校のリクルーターはそんなに社会経験があるわけではないので、人を識別するのに、学歴や職歴以外はその人が強そうか弱そうかくらいしか見れません。
 つまり、上から目線で、声が大きかったり、攻撃的で、威張り散らしている人材を優秀だと判断し採用するので、一見、頼りなさそうな人は能力は低いと断定し見逃しているはずです。

かつてこのような経験はないでしょうか?
 義務教育の過程で、運悪く能力が低い教員にあたると、彼らは自分よりも優秀な生徒はほとんど発見できません。
 当然に、能力が低い生徒も、先生!先生!と呼ばれチヤホヤされ、声が大きかったり威張り散らしている先生が優秀だと思うので、その組織では需給が一致しているのです。
 したがって、教員の能力以上の優秀な生徒は学校教育の期間は疎外との闘いになっていたはずです。
 しかし、世界で戦っている一流企業や組織などでは、こうした構図はないと思われます。

 私が世界で見てきたものを挙げれば、講義以外の場所では、優秀な講師ほど隅っこで小さくなっていてオドオドしているように見え、それは常に謙虚な姿勢であることのあらわれでした。同時に、謙虚な講師に従う学生もまた謙虚で優秀であること。そして、他人の話をきちんと聞く講師には言葉を慎重に選ぶ学生が集まるし、本を最後まで読んで自分の意見を言える講師にはちゃんと本を完走する学生が集まります。
 ここでもやはり、需給一致しているのです。

 このように、優秀な学生を集客するためには性別、声の大きさや体格は無関係で、良い人間のフリをする必要もないし、ましてや広告にお金をかける必要もないのです。
 謙虚な姿勢を持つ人材を発見することが可能なリクルーターの能力1つで、企業は発展することも衰退する可能もあり、それはプロ野球とかわりません。
 ささやく様な講義をする講師、見た目が頼りなさそうな講師が持つ潜在的な高い能力を発見できたことが企業成長に大きく貢献したと思われます。

 「優秀な生徒は学校教育の期間は疎外との闘い」と書きましたが、こういう疎外されてきた学生がちゃんと勉強できて、評価してあげられるのが学校ではなく予備校の講師の役割でした。
彼らは、決して声が大きくて威張り散らしていてキレイごとだけを語る自己顕示欲の塊のような講師を望んではいません。

 

--------- 言語的な理論武装したサルトルよりも、オドオドしているように見えるカミュの方が「現実」を見ているので、多くの読者をひきつけます。

 

 今の時代、もしくは試験種によっては予備校が必要かどうかは疑問視されていますが、学校での勉強が十分にできなかったと感じている人(私はもともと「学校」というものに否定的です)がどこかの時点で独立して自分で勉強してみようというきっかけをつかむ機会が迎えたとき、それを手助けできる人こそが真の教育者となるはずです。(「先生」とか「講師」と呼ばれているような者とは限りません。)