経済学の杜(ミラー)

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「作品」はどこから産出されるか?

大学生が読む思想家の著作には、マルクスエンゲルスドゥルーズ=ガタリ、ネグり=ハートのような2人の共著があります。

これは1人の人間が描く世界感ではなく、2人の間、つまり安定性ない状況の中から作品が孕むと考えても良いでしょう。(ゲーム論的には3人、三角形構造になれば安定しますが)


同じ作家業でも、最適な言語を見つけるような翻訳業は共同作業が難しい仕事の1つであり、完成度が高くてもなかなか評価されません。
しかし、最適な言語を見つけるわけでもない思想書が2人の共著がうまくいくにはいろいろな理由もあります。

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日本はモノづくりの国であるが、もともとモノづくりをする人の多くは自尊心を満足するためにやっているので、共同でやったり、手伝ったりすることが苦手な人がいて、どういったプロセスで力を合わせて完成させていくのか、そのマネジメントが極めて難しく、企業の頭痛の種でもあります。

そう考えると、2人の巨匠が協同で作業をするとなるとその自尊心のぶつかり合いの激しさを増すように思われますが、実は、そのレベルに達するとすでに「言論」の領域を超えるので、ほとんど凌ぎはなくなると思われます。

不安定であって、伝えたいことがあるけど、それに該当する適切な言語が存在しない。
そこで、ようやく伝えるためにモノを作ったり、何らかのパフォーマンスをするわけです。
モノをつくるために、モノを作る。こうした二重構造(二重創作性)があることも言えるでしょう。

つまり、2人での共著というのは、そこには言語化させていない多くの財が交換されているのです。これは、夫婦や家族間で交換される財も同様で、そこをいかに読むかがまた楽しみの1つでもあります。

人類は言語を習得する前に、数を数えたり、算術的な発想を持っていたと言われているので、突き詰めれば、今後さらに、思想も数学的な道へと入っていくと思われます。

数字は無限にあり、見えて認識できるのはほんの一部に過ぎません。