勉強のキックオフ、打ち上げも良いですよ。
さて、試験まで残り半年をきり、今くらいがもっとも不安を感じる時期でもあります。
計算科目が一巡して、これから暗記科目へ入る人も多いでしょう。
不安になって、落ち込んで、何も手がつかない状況より、年末に勉強のキックオフとして、1度、打ち上げも良いですよ。
1人でも、勉強仲間とでもよいので、勉強の話をしないで騒いでみて、次は半年後ということにするのです。
個人的には、焼肉の食べ放題とかがおススメです。
うんざりするほど食べれば、思い残すことはありません。
「経済学の杜」のYoutube,今月は再生時間においてアメリカが日本を超える。
現在のYoutubeのシステムは、視聴回数はほとんど意味はなく(視聴回数を増やす業者も多いようですが)、もっとも重要なのが総再生時間になっています(業者が介入できない)。
提供しているGoogleもいかに効率的に広告を見せるかということを考えているはずです。
「経済学の杜」のYoutubeは、今月に入ってその重要たる総再生時間において、ついにアメリカが日本を超えたという状況です。(僅差ですが)
もちろん、勉強意欲というより、ネットの環境やSNSでの情報交換の速度がその目的適合性と加味していると推測できます。
下図(色が濃いほど「総再生時間」が長い。)
文学部の逆襲は可能か?
公務員試験改革と並行して、大学文系・人文科学系の組織改革が求められていますが、なかなかうまくはいっていないと思われます。
日本の大学の場合、就職に有利な大学・学部に、高校時代までに優秀だと評価された人が偏って進学する傾向があるので、たとえ文学が好きでも人材に不足しがちがです。
母数が少ないと、マスメディアで取り上げられたとか、SNSでのフォロワーが多いとか、ほとんど学術とは無関係なところで評価されている人が運営側が評価し、集客を見込んで持ち上げられ、大学の「顔」にするので、実際に学術的なものに関心を持つ学生からさらに敬遠されてしまうのです。
谷崎潤一郎や三島由紀夫などを読まばわかるように、当時、文筆家が単に社会情勢や人文科学ではなく、社会科学や自然科学にも一定水準以上の知識があることが読み取れます。しかし、現在のジャーナリストでそこまでの読書量を持つ人はなかなか発見することができません。
書く量=読む量なので、読む量が少なければ良い作品もできないでしょう。
実際に人文科学に興味を持って、研究を続けたい人、読書量が目の前にいる教員を数年以内に超える人は、結局、今の段階では欧米の人文科学強豪校に取られてしまうのです。
そういった意味で、公務員になるという選択は1つであって、勉強を続けたければ給料をもらいながら留学したり、資格を取ったり、旅行しながら取材したり、1人でじっくりと勉強する時間を与えられるということもできるはずです。
(多読の大学教員に会うことは滅多にありませんが、多読の官僚には身近に会うことができます。)
10年後、20年後を考えると、文系の場合、勉強を続けたいという理由での大学院進学は回避を含んだ要検討事項で決断には多くの人のアドヴァイスを聞く必要があるでしょう。
もちろん、コネがあるのなら私企業が最強です。
カップルでの勉強は効果的だと考えます。
予備校などではしばしばカップルの受験生がいて、他の受験生からは「あいつらは気合が足らん!」と思われるかもしれませんが、結果を見ると、だいたいカップルの受験生はともに第1希望に採用が決まるケースが多く、同時に採用年度に結婚しています。
難関資格試験なら2人同時に合格するというのは滅多にないことですが、公務員試験のような就職試験の場合、試験期間が続くので、その長丁場を支えるために、信頼できる人物が近くにいるというのは、かなり強いということです。
実際に試験が始まるとわかることですが、頑張っても、頑張っても、自分を応援してくれる人はほとんどいません。そして、1人で落ち込むことも多いでしょう。しかも、真夏のスーツ移動なので激しく体力も消耗します。この状況下でスケジュールをこなす必要があるのです。
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「80:20の法則」は常に考えなければなりません。
たとえば、予備校に行って、大成功する人は2割です。その2割に必ず自分が含まれるとは限りません。
最近、30年前にことごとく大学受験に成功したという人の話を聞いたのですが、その人は自分に合う予備校に当たるまで何度も予備校を変えたというのです。普通はそんなことはできないだろうし、やはり、財力があるというのは強力だと思いました。
しかし、そんな人も大学受験では完全勝利を獲得したのに、その後の人生はパッとしません。結局はどこかで80の波に呑み込まれるのです。
逆に、大学受験で失敗した人の方がその後の人生で20のチャンスをつかんでいる人が多いように感じます。
人間の能力は全員同じだけれど、自分が勉強するための環境を獲得するのは極めて難しく、それを継続させることは、さらに難しいとつくづく感じます。
(もし、家族でできるのであれば、それは良いことですがそれもやはり80:20の法則で2割しか成功しないでしょう。)
女性が自分の体質にマッチしたダイエット法を発見するのに一生かかるのと同じように簡単にはいきません。
私は1人でやるのが一番だという結論になりました。
そういう人も多いはずです。
最近、アジアをまわっていて思うこと
10年前くらいまでは、台湾や韓国で日本語(国語)を完ぺきに話す老人が結構いましたが、最近はほとんど見かけることができなくなりました。多少話せるとか、商売で使うような言葉は残っています。
一方、北京語は話せる若者が多い印象です。
東南アジアとか英語が方が通じると思ったら北京語を指定してきます。旧ソ連経済圏ではロシア語は話せないけどロシア語を聴くことができるor読むことができるという周辺国でも、若者が北京語が理解できるというケースが増えているように感じます。
言葉は経済活動の「交換」のツールなので、普段、どんな人と取引をしているかの基準になります。