オリンピック選手の誕生
人間の能力はほとんど差はないけれど、オリンピック選手と凡人ランナーの差はどこにあるのか?
その差は、練習量とか技術ではなく、まず、故障をしないことが最大の理由です。
緊張して眠れないとか、食べ物に好き嫌いがあるとか、単純な基礎訓練は飽きるとかはもちろんよくないけれど、故障しない体を獲得することが最終的に世界ランカーを決定する要因だと思われます。
1つ言えることは、その故障しない体は決して机上の理論では説明できない領域にあって、極めて個性的であると考えます。実際に、私がヒューストンでよく行った店に有名なゴールドメダリストが来ていたのですが、大酒飲みで、ヘビースモーカーだったりしました。酒やたばことランナーとしての肉体とはあまり関係がないのかもしれませんね。
谷崎潤一郎『春琴抄』
人生最大の教科書であり、これから国際社会に挑戦する学生に紹介する推薦本の1つです。
谷崎ほど、経済をとらえ、描いた人は他にはいません。特に春琴抄は開港、いわゆる近代日本のグローバル化がもたらした時代背景をあまりに美しい日本語で表現しています。
多くの読者は、この小説の美しさに惑わされ、背後の時代背景を読むことはしないでしょう。もちろん、その必要もありません。
佐助の失明は、日本が開港した時であり、その後、佐助と春琴は光のあたらない桃源郷へ到達します。
経済的に言えば、グローバル化によって、没落したのは鵙屋であるということ。薬問屋はもともと海外との交流を許可されていた企業であり、グローバル化によって没落するのは同じグローバル企業。そして、「大阪」という伝統的な巨大なマーケットが裁定取引や流通システムに敗北したのです。
夫婦という絆を基礎とした日本文化は、グローバル化ごときではビクともしない強靭なものでした。
さらに、もっとも生産性が高い組織は「夫婦」(婚姻とは限らない。「家」と言っても良い)であること。たぶん、佐助はその後達人になったのであろうけど、それは佐助と春琴の間から生成された統合的な力であって、そのどちらか一方ではないということ。
モノが創造されるところは光があたらない場所であり、あまりにおぞましく、一般の人は見ない方が良いところでもあります。
増税を主張する人たち
日本経済が20年間低成長を続けてきた原因として、消費税増税やデフレをあげる人も多く、現在も増税をもくろむ財務省に批判的な人も多いでしょう。
しかし、国際競争にさらされている経済官僚の視座は別なところにあるかもしれません。もちろん、目的は何千年も続く「強い日本」「国際競争に勝てる日本人」をつくるためです。
私がアメリカで住んでいた場所の1つ、ニューハンプシャー州(ポーツマス)はリザベーション地区でもあるので、セールス・タックスがなく、教育もお金がかかりません。非常に安く生活できるので低所得者層やリタイアした人には良いところですが、働き盛りの若者が住むには適さないし、そのことは多くのアメリカ人も理解しています。
車で数十分で行ける、隣の州はマサチューセッツ州ですが、ここはタックスチューセッツ州と呼ばれるほどの高い税に見舞われる州です。
しかも、ケンブリッジにある大学に行こうものなら1コース登録するだけで、ニューハンプシャー州の大学1年分の学費に匹敵する額になるところもあります。さらに、追い打ちをかけるように世界一とも言われる高額家賃を払い続ける必要もあります。
これほど、税金や教育、生活費に差があるのに、それでも人々はマサチューセッツ州に住んで、そこの大学に通い、そこで働こうと考えます。
そして、ここで生き残るのは、この税金、この教育費、この家賃を払い続けられる強いアメリカ人です。また、こんなところに投げ込まれた外国人は一致団結して防衛策を練るしかありません。そして、彼ら彼女らは国際競争力に立ち向かえる人に育っていきます。
その地域には容易に入り込めない見えないバリアが形成されます。
日本経済の20年間低成長に耐え、苦労した親の背中を見て育った90年代以降に生まれた若者たち、彼ら彼女たちはとても強い気持ちと情報を識別する能力が備わっています。
「次の時代を背負える強い日本の若者」をつくることができたのだから、20年間の低成長期は無駄ではなかったはずです。
海外から使用しているカメラやレンズの問い合わせが多い
動画撮影時のカメラについて、海外から問い合わせが多いのです。
最近では、instagramで高評価をもらうためなのか、スマホの内臓カメラではなく、一眼レフを持ち歩いている若年層も少なくありません。しかも、カメラの知識や撮影技術までそれなりに高いレベルだったりします。
現在、レンズは標準で、
実際の数字と、ネット上の数字の乖離
クリス・アンダーソンの名著『フリー』が登場した2009年、ネット上にある「評価」が現物の貨幣以上の利得を生み出すことが書かれました。
http://www.honyaclub.com/shop/g/g12653358/
しかし、現在ではtwitterやFBのフォロワーやyoutubeの登録、高評価数などがお金で取引されるようになったり、あたかも売れているように見せかけたり等、ネット上にある『評価』の信用がここ数年で極めて薄くなりました。
また一方では、商品のマーケティングをネットで業者のカウントを購入したり、匿名を悪用し、一生懸命ステマをする業者もいますが、こういう人たちがターゲットにしている情報弱者もスマホ時代の若年層の情報識別能力が高いために、現在ではかえって逆効果になっているはずです。
テレビがまったく若年層に人気がなくなったのも、番組製作者が視聴者の興味を持っていることを完全に把握していないばかりか、情報量の正確性もスピードも視聴者に追いつけない状況なのでしょう。
ソシャゲのダウンロード数も1人で複数人分を行ったりしてカウントを稼ぐようなことをしていたりしているところもありますが、最近、驚いたことはロボットまでが参加するようになり(米国の私のチームの応募者が調べてみるとロボットであったが、経験値自体は本物だった。)、ネット上で信用できる範囲というのは実はかなり縮小されていると感じています。
ソシャゲを経験すればわかるはずですが、ネットによって、世の中にはいかに自己顕示欲のためだけにお金を使う人が多いのか、いかに企業は課金勢力が強力なのか、いかにパクリ商品が多いのか、いかに人は無責任で信用できないのか、丸投げ、他力本願、頓挫、足の引っ張りあい、他人の成果を横取り、など若い時代に人間の醜さを直視できたことは今後の人生に役立つはずです。
高齢者層に支配されたネットは老朽化が急速に進んでいます。
こうした状況もあって、いかに自分の足で情報を取りにいくかが大きなポイントになっている現状です。
私自身も外国人向けのサイトではできるだけ直接インタビューするようにしていて、彼らの多くは到底日本人には気が付かないところでつまづいています。
変わりゆく水道橋
水道橋は今ではホテルや大学、オフィス街へと変貌していますが、90年代までは資格試験用の予備校が乱立していました。
通りにはびっくりするくらいの受験生が歩いていて、飲食店も大繁盛していました。
90年代、
1教室に300人以上収容できるスクール形式の建物が多く、その教室に受講生で満員になるのが当たり前だった時代です。
今では考えられないと思いますが、300人の教室で効率的な講義ができるのか?と言えば、300人のデメリットよりも実はメリットの方が大きく、母数があることによる進化や情報量は大きかったのです。(インターネットが普及していなかったにもかかわらず、300人の口コミの方が正確な最短距離を歩める情報が流通できた。)
水道橋の名物は、大原4号館でした。私もここで講義をしていましたが、当時、6階だったか喫煙所があって、休憩時間に100人くらいの受講生一度にタバコを吸うので、煙で火事だと思ったのか消防車が来たこともありました。
現在のEYEさんのビルは、この時代では大原10号館でした。隣りの住友水道橋ビルと同様に当時は最新の建物でした。
コンビニのポプラや隣のビルも当時は大原9号館、15号館だったと思います。(他の予備校も入居していたはずです。)
その裏通りに、現在は大原予備校になっていますが、当時は東京商科学院(この時は法商学園で現在と学校法人は異なる。その一部の講座はクレアールさんが引き継いでいるはずです。)。ここでも指導していましたが、不思議な場所でした。
94年までこれらの校舎で簿記論、財表がメインの講師でしたが、ここから経済学へと変貌します。
この時、1回でいいから代講で経済学を指導してほしいという要望があって、教壇に立ったところ大うけして、1000人単位で受講生も集まりました。